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暮らしから溢れたものを収穫し、編みなおして
暮らしにかえす試みを行っています

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暮らしから溢れたもの=もう役割がないもの

ゴミとは何でしょうか?
ゴミとは人間に「もう役割がない」と判断されたものなのではないかと思っています。
人間社会の中で役割 を失ってあぶれてしまったもの。
しかし、役割がないからこそ、作り手の意図から解放された存在であり、何にでもなれる可能性を秘めています。

偶然性と個性のある素材

天然素材のものが一つ一つ表情が違うように、一度、使用を経て、劣化・摩耗したものの風合いは、それ自体、二度と出会えないような個性になっていることがあります。

例えば、カスリの布は着れば着るほど頑丈になるといい、履き古したであろうもんぺの擦り切れた部分に補修が施してあったりすると、その痕が素晴らしいのです。
補修していなくても、そのほつれ具合、擦り切れた様子は良く見ると美しいものです。
使い古した服や、食べ終わった後のお菓子の袋、潰れかけた卵パックだって、使った人のクセが出ていたり、そのものの特徴があるものです

暮らしから収穫する

そんな人間の暮らしの営みをとおして、出てきたものを、素材をして「収穫」し、そのもののよさを生かせないか日々研究しています。

分解・再編成

世界中にある「編む」ということ (バスケタリー) 編む・組む・織る・・・

「編む」という行為は、世界中のどこにでもあります。特別な道具を使わなくてもできるこの行為は、古くから世界のいたるところで行われてきました。
人は編むことで、そこにあるものを違うものに作り替えてきました。
そんな普遍的な行為だからこそ、編むということは奥深く、面白いと感じます。

ネオ民藝

民藝とは、もともと「民衆の民衆による民衆のための芸術」であり、「民衆が自分たちの手によって、自身の地域で手に入る素材で、自分たち自身の暮らしのためにつくるもの」というような意味があります。民藝は、人々の生活にとって身近な存在でした。
しかし、現代の民藝を見てみると、限られた職人のみが生み出せる高級品となり、民衆の手から遠ざかってしまっているように感じます。
そんな民藝の本来の精神を問い直し、現代に置き換えるとどうなるのか、それがネオ民藝の考え方です。
身近なソザイ研究所は、現代の私たちの暮らしという身近なところから出てきたゴミを活用し、新たなものに作り直して生活に返すという、ネオ民藝を実践しています。